2021年
久しぶりに文章かくわ。
今年は生と死に向き合う時間が沢山あり、いろんなことを考えました。
そんな時間になったことを書きます。
主に、実家で飼ってる犬(ふうちゃん、柴犬、16歳)と、母方の祖母のことです。
3月
犬が突発性前庭障害になる。
老犬にはよくあることみたいですが、三半規管が狂って上手く歩けなくなる病気です。
妹も就職前でギリギリ実家にいたことと、コロナもあり親が頻繁にいたことが幸いして介護に注力できたと思った。
薬を飲んで今は完治だけど、ここから明らかに歩くことや、立ち上がることが一苦労になって衰えを感じるようなり、認知症も進んだ気がする。
仕方ないけど。
犬の認知症は人間と同じで、徘徊したりご飯食べたの忘れたり。もう目も耳もほとんど使えないので、余計しんどいと思う。
何より犬自身が今までの自分の体の動かし方と違うので戸惑って不安だったんだろうな。
10月 ばあちゃんが帰ってくる。
ばあちゃんが6月に2回目の脳梗塞で入院。
1回目は私が高校生の時やって元気が有り余って帰ってきたのですが、今回はそうはいかなかった。コロナで対面もできず、会うたびに弱るばあちゃんを見ていた。
病院の対応も不満なところがあり、じいちゃんがばあちゃんを家に戻らせて介護することになりました。
(病院の方も出来る範囲でやってくださったと思うんですが、ばあちゃんに合った病院じゃなかっただけだと思っている)
ばあちゃんじいちゃんと同棲してる従兄弟家族、特に従兄弟のお母さんが介護に注力してくれはった。
出来る限り毎週末とばあちゃんに会いに行って、会話が出来ることもあったし、文句をいういつもばあちゃんで安心していたけれど、10月後半にはかなり食べなくなり、病院の先生との話し合いで「終末期」だと伝えられ、なんとなく分かっていたけれど現実を突きつけられました。
そんな時に、ばあちゃんが「私は幸せもんや」と口に出して言ってくれた。
その場にいたみんな涙目になったよ。
聞けてよかった。
それを聞けたみんなも幸せやったよ。
11月
11/6
東京にいる従兄弟も姉も妹も含めて全員集まってばあちゃんに会いました。
元々集まってくることをばあちゃんにはずっと伝えてました。辛い治療の中、「早く楽になりたい」というばあちゃんに頑張って欲しかった。
幸いなことに、最後まで全員の顔と名前をばあちゃんは覚えていて、全員で集合写真撮ったり、沢山話しました。
ばあちゃんにまたくるわといって、ご飯を食べて家に帰ったとき大体2時間後くらい。
ばあちゃんが死んだと連絡が来ました。
最後の方は息が上がり、とにかくしんどそうにしていたのをみて人工呼吸器や、お医者さんを呼んだりしてバタバタしてたみたいですが、その場にいた家族には看取られたみたいでよかったです。
それから3日間ほどかけてばあちゃんとほんとのさよならをした。
最後に全員にあうまで頑張ってくれたばあちゃん。
めちゃくちゃ強くて優しくて、めちゃくちゃおもろいひとやった。
料理が上手で、唐揚げや白菜のたいたんはいつもたくさん作ってくれた。
スキーも小さい頃沢山連れてってくれて、大阪や奈良の寺は基本ばあちゃんとじいちゃんとの思い出。
いつも大阪で、毎回食べきれないのに551行くから、余った餃子をティッシュに包む恒例行事あったの思い出した。
思い出はきりないけど、とにかく最後にばあちゃんに会えてよかった。
頑張ってくれてありがとう。
じいちゃんはみんなで支えるので、寂しいと思うけどこっちのことは気にせず過ごしてほしい。
11/10
葬式が終わって仕事がある組は全員帰った次の朝。
犬が脱走しました。
元々、基本外で飼っていて、散歩終わったら家に入れていて寝る時だけ排泄のこともあり、外に出してました。
散歩の際に、外の扉を閉め忘れていたみたいで、私が起きた9時ごろどこを探してもふうがいなかった。
そんなに遠くに行けないこともわかっていたから近所を何周もして、とにかく探した。
もう認知症で家に自力で戻ってくることも出来ないし、目見えてないから近所の川に落ちて流されていたらと思うと恐怖で涙が止まらなかった。
身体的にも精神的にもかなりボロボロになっていて、電話をした母さんの帰りを待っていた時。
川の向こうから喚き叫ぶ犬の鳴き声が聞こえ、走って川の向こう見たら、叫ぶうちの犬らしき柴を抱えている女性2人。
声をかけるとふうでした。
どうやら朝の5時ぐらいに川に落ちて、流されてずっと鳴いていたみたいで消防まで使って助けてくださり、さらに川の泥で汚れているふうを洗って拭き、警察に届け、足の裏が少し血が出ていたので病院に連れて行くところで私と出会えたみたいでした。
ふうに会えた安心と恐怖からの解放で涙が止まらなかった。
助けてくださった方は、元々犬を飼っていたみたいで、私が泣いていた時ずっとふうに声かけや、わたしにも気を遣ってくださりとにかく感謝してもしきれません。
丁度お母さんが帰ってきて、2人でふうを助けてくださったお礼をし、そのまま病院へ向かいました。
道中、ふうはおそらく恐怖でとにかく泣き叫ぶので、大丈夫大丈夫と声かけながらゆっくり撫でて次第に落ち着いてきたけど、私と母はふうにそんな気持ちにさせた反省ととにかく恐怖から解放された安堵で終始泣いていました。
少し爪が削れてた程度で、怪我はありませんでした。
もうこれ以上の怖いことは無いと思う。
とにかく反省したし、あの時から不安感を感じるようになったのか夜よく叫ぶようになったので今は日中も家の中で過ごさせています。
葬式中相手にできなかったことが寂しかったのかもしれない。
「私を忘れないで」と言ってくれたと思う。
葬式の後だからこそ余計に「もう誰もいなくならないでほしい」と強く思っていた分、ふうがいなくなる恐怖で体が震えて仕方なかったです。
今でも、この文章を書いていても、涙がでてくる。
それぐらい申し訳ないことをした。
出来るだけ実家に帰り、ふうが少しでも安心して過ごせるようにしたい。
とにかくいろいろあった。
これを書く時、涙が止まらなくてちゃんと文章になった気がしない。
人は生きてれば死ぬ。
でも本当に忘れなければずっと一緒に生きてる。
お母さんの唐揚げはばあちゃんの唐揚げであるように、ばあちゃんの作った何かは母や私や皆の中にあって、ばあちゃんはいなくなったなわけじゃない。
ばあちゃんから貰ったもので出来てる自分や、皆を大切にすることでばあちゃんに恩返しできる。そう思ってる。
そして、今生きる家族をより大事にすることは今の私の課題だと思う。
ふうもうちょっと元気でいてくれ。
私のわがままだけどまだ少し心の準備が追いついていないんや〜。ごめんよ。
もちろん今年は楽しいこともたくさんいろんなことがあった。
ばあちゃんのことを知って支えてくれた人にとにかく感謝している。
とにかく考えさせられる1年だった。