星になんかならなくていい
8歳の頃から飼っていた柴犬のふうが3日前息を引き取った。
耳があまり聞こえず、目も見えず、認知症だった彼女の介護が両親だけでは厳しいこともあったので、今年実家に戻ると決めた。(他にも理由はあるけどこれが8割くらいの理由で)
昨年の11月にふうを不安にさせた脱走事件もあり、不安にさせた責任をなんとかはらしたかった。
ふうが弱っていってることは家族全員感じていて、この1年で何度病院にお世話になったのか。
もし自力で食べる気がなくなり寝たきりになった場合、お医者さんは安楽死も提案してくれた。もちろんそれは犬にとって正当性のあることだとわかってる。
ただ、犬を飼うということは人間のエゴであるからこそ、最後までそのエゴを責任として持つべきだと思った。
ふうが生きる気力を自分で無くすまでは何でもしようと家に残る母と父と約束した。
そして就活が一通り終わったタイミングで実家に戻った矢先、ふうは発作を起こして夜に病院のお世話になった。
こういうことが起こると脳へのダメージが強く、認知症などが加速することをお医者さんから伝えられ、寝たきりになる可能性もあった。落ち着いたので家につれて帰れたけれど、もうダメだと家族全員思った。
だけどそこからのふうの生命力は凄かった。
倒れて3日目には、水を飲み、1週間くらいでちゅーるを混ぜた固形物が食べられるようになった。それと同時に鳴きながらも自分で立ち、歩くようになった。
上がらなかった首がリセットされたように上がって前より歩いてる時にこけなくなった。
まだまだ生きるなんてことをふうは思ってすらいないかもしれないが、私を含めた家族はまだまだサポートできるんだと思った。
ふうは、2005年、生まれて3ヶ月で我が家に来た。
その当時両親は、同居していた父方の祖母の認知症防止に犬を飼うことを検討していて、パグか柴犬かに狙いを定めてよくペットショップなどに私達娘を含めて見に行っていた。
(なぜパグか柴犬だったかはあまり覚えていないが、初めて飼うのに迎えやすい中型犬を探していた気はする)
11月、たしか3日とかだった。
母方の祖母の家に遊びに来て、テレビを見たくてなかなか帰らない私たちに母が「帰ったらいいものがあるよ」といったのを聞き逃さず母を問い詰めた。
プレゼント?おもちゃ?「さぁ〜」といってはぐらかす母に犬?と言ったら黙った。そのあとすぐにはぐらかされたけど、姉妹全員犬だと気づいてすぐに帰りを促した。
帰りの道中、栗色の柴犬だということがわかって、マロン?とか名前の候補を挙げたけど、母がぽろっとつぶやいた「ふうは?」に犬の姿も見てないのに納得し満場一致で名前が決まった。
初めて抱っこしたふうは、当時小学2年生の私が組んだ手に乗るくらい小さく細くて今にも落っことしそうだった。
もうそれ以降の小さい時の記憶は断片的なことしか覚えていない。
初めて抱っこ散歩(幼犬は外の世界に慣れてないのでまずは抱っこで散歩して慣れさす必要がある)した時、ふうを私の不注意で落としてしまって、びっくりするぐらい震えていたこと。
初めてちゃんとリードをつけて散歩した日は雪が降っていたこと。
小学校から帰ってくると、トイレの覚えていないふうがおしっこをあちらこちらにしていたこと。
登校前にふうを散歩させていたら、リードが外れて脱走したのに捕まえられなくて、泣きながら親に報告し登校したら、バイクに2ケツした両親がふうを抱えながら捕まえたよー!と登校中のさなに教えてくれたこと。
…小学校だけでもエピソードがありすぎる。そしてめちゃくちゃ覚えていた。
中学高校はふうに1番申し訳なく反省している。部活があったり、友達と遊ぶことが優先だったり、私よがりな理由で散歩をしっかりしてあげないこともよくあった。この時あまりふうと遊べた記憶もない。
綺麗事を言うと、中学高校になると「当たり前」だと何も信じて疑わなかった。
ごめん。1番元気で遊びたい時間を忘れてしまってごめん。
罪滅ぼしのように、浪人した1年間は朝毎日30分散歩にいき、夜もできるだけ散歩したな。
大学生になり、一人暮らしをするとふうに会える機会が少なくなって、「当たり前」ではないことを知った。
ふうが12歳の時、ふうの体調が良くないことをたまたま家に来ていたおばさんが気付きそのまま病院につれていくと病気だと判明した時、
「家族なのに何も気づけなかった。そしてふうは実はもうおばあちゃんで、死ぬことだってあるかも知れない。」
という悔しさと不安に襲われた。
それまで病気などしたことがなく、もうめちゃくちゃに健康すぎるくらいのふうの栗色の毛並みは、昔の写真と比べて色が薄くなっていることにもその時気づいた。
当たり前すぎる小さな存在がいなくなることがあるんだとはっきり気がついて泣いたことを覚えている。
そこからふうのために動くことを厭わなくなった。
去年亡くなった祖母を見て、「人は死ぬタイミングを選んでいる」と思った。
犬だってそうだとふうを見て思った。
ふうがなくなる前日に姉が帰省していたこと。ふうが危篤の知らせを受けた妹が乗る終電が着くまで、生きることを諦めないでいてくれたこと。
頑張ってくれてありがとう。
16年と11ヶ月。頑張りすぎたねちょっと。
老犬介護は甘いモノじゃない。排泄や食事の世話、夜うまく立たなくて鳴くので近所から迷惑だと手紙も来ていた。迷惑なのはその通りだと思うし、私たちも鳴き声に起きて、世話をしていたので寝不足だった。
でも嫌じゃなかった。不満もなかった。自分から選んだことだったし、眠たいなぁぐらいの感想だけだった。
だけどそれぐらいの覚悟や諦めそして、諸々にかかるお金がないと動物は飼うべきじゃないことを老犬介護を通して知った。
老いて弱っていく姿を見ていたので、実家に帰る前に想像していた死の辛さより遥かに辛くない。
ただ家に帰ってもいないこと、日中鳴かないことを思うと涙が出てくる。ただ寂しい。
虹の橋をわたっただの、星になっただの綺麗な言い方なんてしたくない。
星にならなくていい。
ただ側で温かい背中や頭を撫でていたい。
我が家に来てくれて、
ここまで生きてくれてありがとう。
本当にふうはすごいと思う。
よく生きたと思う。
がんばったね。
がんばった。
ありがとう。
本当にありがとう。
会えないかも知れないけど、また会えたらいっぱい遊ぼう。いっぱいおいしいご飯食べよう。
大好きだよー!!