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受験うかってオタクしてます

気持ちの整理

今回の話は残して何になるのかわかりませんし、共感がほしいわけではありません。もう終わったことなので心配もいらないし、私個人の話なので「自分も」みたいな気持ちになって欲しくないです。(特に後輩には)

これを読んで、何かに生かしてくれたらいいとは思いますが生かせる内容かもわかりません。

 

ただこれを書かないと、あの時の自分の気持ちは成仏できないなと思っていました。

サークルとして綺麗に区切りをつけれていたらこんな気持ちもとっくに成仏してたんじゃないかな。

 

 

 

 

暗黒期みたいなものは2回大きなものがあって、その2回は自分で原因が分かっていても、気持ちの整理がつかなくて、あの時どーすればよかったかがうまく話せません。

 

1回目は、

・レポート、ESとパワポ、面接、表紙コンペで自分のタスクの山がひと段落し、緊張の糸が途切れた

・就活への不安

・自分のタスクをしながら舞い込むKooBee の仕事と問題

・積極的でない人と自分のギャップ

で結果的に自分の自信がなくなり、タスクがあっても何もできない状態になりました。

最低限の返事しかできなくて、LINEは既読無視してしまうような感じでした。

本当は全てのタスクから逃げたかったけどそんな風にもいかんので最低限の連絡は返すように。1週間だけですが、役会LINEからも抜けました。

 

逃げるのがよしっていうわけではないけど、この時「にげる」という術がまだ使えていたから、1週間程度で頑張るスイッチに切り替えられた気がします。

 

後輩には辛かったら逃げてもいいよと言ったんですけど、「やりっぱなし」で逃げるのはお勧めしない。自分の中で、最低限でいいので、これで終わる!って思って逃げた方がいいです。

 

このときは1週間くらいで持ち直して、なんならやる気が前以上になってて今振り返れば軽い病みだった気がします。喉元過ぎれば熱さも忘れるかもしれませんが。

 

2回目は、学校行くぐらいから「あこれダメな日かもしれない」とおもって、ミーティング終わりに「あこれやっぱダメだ」となって実家に帰りました。この時の「ダメな日かも」という予感はあんまりよくわからないけど、暗闇のようなものがヒタヒタ近づいてくる感じかな〜説明できないな。

 

実家に帰る途中、電車が人身事故で止まって、時間の都合上0時近くにしか最寄りにつかないことがわかり、母親に連絡し終えた後、安心したのか涙が止まらなくなって、ずっと震えてた気がします。こんなヤベェやつ絶対怖いのでめちゃくちゃ我慢して最寄り駅まで帰りました。

 

最寄りについたら迎えにきてくれてて、車に乗ってお母さんを見た瞬間、大泣きしました。

 

抱えていた感じなくていいプレッシャーと、将来への不安と、無くならない仕事の山と、次の週に待ち構えてる実習とかいろんなタスクに完全に潰れてしまいました。もうしんどくてしんどくて、でもなにがしんどいか分からなくて、心がすべてぺしゃんこになっていた気がします。

 

この時、「しんどいって泣いてなにが変わるんだろう」とという絶望感にも潰されていました。

泣いたところで仕事は無くならない、しんどいと言ったところで代わってくれる人はいない。私がしてほしいのは自分の仕事が少なくなることではなく、ゼロになることだったので終わらない限りずっとこのままやと思いました。そしてこんなことを考えている自分の精神の浅さに落ち込みました。

 

今考えればね、そんなことはなくて。しんどいといえば助けてくれる人がたくさんいるんだよ。

 

その時の私は、その存在すら信じられないぐらい追い詰められていたんだと思います。その存在にとって私は迷惑だと考え、相談しても迷惑っていう気持ちでした。

 

家族と会って、1日だけ落ち着いて生活をして、また自分のやらなきゃいけないことと向き合うようになりました。流れに身を任せていく方が上手くいくと思って、落ち込みも上がりもせず、睡眠不足も重なって、無感情で進めれたことが救いでした。入稿までとにかくいろんなことがあって、後輩のことも正直心にきましたがすぐに力を貸してくれた人がいて感謝してもしきれません。

1番ではないけれど、入稿がプレッシャーではあったのでそれが終わってからは少し楽になったように思えます。

 

入稿後も信用できない人の存在で、狂わされたことがありましたが、深夜に話を聞いてくれた同期や、怒りを聞いてくれた後輩達本当にありがとう。

元気出して〜って言われてもらったからあげくんめちゃくちゃ美味しかった。

 

今はその状態からは完全に抜けています。冒頭でも話したようにこんな風にならないでほしいという気持ちがあります。

だからこそ明確な解決方法を話せたらいいけど、流れに任せていたのでどう解決したかあまり覚えがなくてすみません。 

 

経験して思ったのは「自分の気持ちも分からないなら、人の気持ちを心配するな」ということです。

 

私は共感性羞恥をもつ人間です。

共感性羞恥とは「人がが怒られたり恥をかくような場面を見た時に、まるで自分が怒られたり恥をかいているように感じてしまう事」を言います。

日常生活でいうと、

・誰かがスベるところを見られない

・そういう場面が必ずというほどでてくるテレビが長時間見れない

とかそういうのです。

 

人の感情に対して敏感で、それを自分の感情と区別しにくく、苦しいのでそれを避けるための行動ばかりしてきました。

 

その結果、誰かがしんどくなるのを見る前に自分が傷つけられればいいと思うようになり、過度のしんどさを招いた一因だと思っています。

共感性羞恥の人が必ずしもそうなるわけではなく、私はそうだったという話です。

 

この性格に気がついたのは22歳になってからでした。自分の性格に名前があると、人に説明もできるし、不要な場面を避けられるようになりました。HSPに当てはまることもあるのですが、これほど繊細では無いと思います。(周囲の刺激に敏感「HSC」「HSP」|ますみゆたか/真澄悠貴|note)

 

でそんな奴が人の心配を100%しても意味がないという諦めを手にすることができました。人の心配をすればするほど自分の心が死ぬことに気がついたのです。「自分のできる限りで相手のために動こう、それで無理なら諦めも大事」と、今までは「それで無理なら私のせいだ」と思っていた気持ちがなくなりました。

 

またこういうのがきた時、前よりは上手く対処できると思っています。こないように頑張ります。

 

誤解のないよういいますが、サークルに入って大きなタスクをたくさんやったことは何一つ後悔していません。投げたくなったことはあるけど、サークルが嫌いだと思ってません。入ってよかったと思っています。

 

あの時本当にどん底だと思っていた自分が、あの時腐らなかったことだけは本当に偉かったと思います。

 

役に立たない文章ここまで読んでくれた方いるのかな。

 

あの時の気持ちにやっと整理つけれたと思います。

 

ありがとうございました。